2012年2月29日水曜日

ラッシャヒまで汽車の旅

特急列車?

ラッシャヒの市内


816日  
 
 本日は、ラッシャヒまで6時間の汽車の旅。奮発して特急の16人部屋を確保したのだが、クーラーは壊れ座席はビニールシートが破れている。
 幸いに進行方向の窓際の席だったので風が入り、車窓を眺めながら快適に過ごす。
 乗客は私を入れて3人、片言の英語で会話、日本について、私の仕事や家族のことなど質問される。
 私は駅を降りたら両替場所はないか聞くが、2人ともよく分からない様子だ。 
 同席の1人が終点のラッシャヒで降りると親切にもリキシャーに銀行の場所を聞き、料金交渉もしてくれる。
 連れて行かれた銀行ではドルを両替できず、3件目でようやく100ドルを6374タカに両替する。
 行員がいろいろと日本について、さらに私の個人的なことを聞いてくるので1時間もかかってしまう。
 銀行を出ても何処にいるのかさっぱり分からないので、通りすがりの男性にホテルを尋ねると親切にもホテルまで連れて行ってくれる。こちらの人は本当に親切だ。  
 宿泊料金600タカ(720)でトイレ、シャワー、クーラーが付いて清潔な部屋だ。
 明日のバス停を確かめるために、街に出かけると、車やリキシャーが道路を埋め尽くしている。信号が無くどこからでも人々が道路を横切っている。
 朝から何も食べていないのでまずは昼食だ。しばらく歩くとチャパティを焼いている店が見え、うまそうだったので入ってみた。野菜カレーをはさんで食べると、かなりうまい。
 店にいた地元の高校生たちが話しかけてきたので、しばらく片言の英語で話をした。わりと喜んでいた。
 バス停を確認し、バナナと水を買いホテルに戻る。Posted by Picasa



2012年2月28日火曜日

残金36円

リキシャーマンの昼寝
両替で一悶着 右の男

8月15日
 ホテルに帰ってからも一悶着。バングラデシュ入国時に日本円で4000円をタカに両替した。
 明日の列車の切符を購入したので40タカしか残っていない。
 ホテルの男に、本日の宿泊代と夕食代に50ドルを両替してほしいと申し入れたが、両替はできないと言う。現地の人しか泊まらないので両替に慣れていないようだ。宿代は200タカなので160タカ足りない。
 宿代を取りはぐれては大変とばかり5ドル両替してくれることになったのだが、5ドルは280タカだという、私の計算では320タカのはずだ。冗談じゃない。別のホテルに泊まると言ったら、チックインの12時を過ぎているので1泊分払えときた。全く頭にくる。
 1時間やりあって5ドルを300タカに両替、宿代200タカを支払い、晩飯と水代で110タカを使い残金30タカ。









2012年2月27日月曜日

どぶ水で洗ったコップで紅茶を飲む



鍛冶屋
シャイト・ゴンブス・モスジットの内部

シャイト・ゴンブス・モスジットの外部
815

 
5時起床。安宿の前はバスの発着所で朝早くから大勢の人達で賑わっている。
 油で何か揚げている屋台、煮出した紅茶にコンデンスミルクを加えた ミルクティーの屋台、果物の屋台ありで朝から喧騒としている。
 少し進むと鍛冶屋があり、親父が写真を撮れとジェスチャーをするので一枚撮ってやる。この鍛冶屋が時代遅れで大きな風船みたいな「ふいご」(足で踏み箱の中のピストンを動かして風を送る)で炭を真っ赤に燃やしている。
 親父が息子に何か言って汚い小さなやかんと小銭を持たせる。3分もするとやかんに紅茶入れて戻ってくる。
親父が薄汚れたガラスのコップを、店の前の淀んで緑かかったどぶ水で洗いだす、そのコップを手に持ち何回か振り水を振り払い紅茶を注いで私に飲めと勧めてくれる。不衛生極まりないが、折角の親切を断ることが出来ない雰囲気なので一気に飲み込むと、有難迷惑にもさらに注いでくれる。無理して飲んだのだが腹を壊すことはなかった。
 バゲルハット行きのバスを探すことにした。各バスは車掌が大声で客集めをしているので、目的のバスはすぐに見つかった。予想通りボロボロのバスで、車掌がバスを力一杯に叩きながら客集めをやっているため、外板がボコボコになっている。さらに、乗り込んで後方に座ると、床に穴が開いていてタイヤが見える。こういうバスが現役で動いていることに感動してしまう。
 
 バゲルハットまでの料金は30タカ(35)で、この国では交通費は本当に安い。
走行中は思ったほどの振動もなく、モスク群のメインといえる「シャイト・ゴンブス・モスジット」の前に到着する。このモスクは1459年に建立され今現在も使用されている。ベンガル語で「60のドームを持つモスク」という意味。名前の通りに屋根の上に円形のドームが並んでいる。
 最初は、イスラム教徒以外は入ってはいけない場所かと思っていたが、白装束で頭に帽子を被っている男に確認したところ、誰でも入っていいということだった。
 内部は薄暗く、ちょっとひんやりとしている。柱がたくさん並んでいる構造になっているため、遠近感が感じられる景色になり、意外と面白い。
見学を終えて小汚い店でチャイを飲んで休憩していると、リキシャーの男が何処に行くのか聞いてくる。次の見学場所までは約1キロ、おそらく1520タカだろう。20分交渉し15タカになったのでリキシャーに乗り込む。
 15分も進んで橋を渡り終えると、周辺に小さな池が多数見られる。男はエビの養殖場と説明してくれる。エビは日本への最大の輸出品目と教えてくれる。 
 街道から露店の並ぶ参道を少し入ると、分厚い塀に囲まれた廟に行き当たる。このモスジット群を建設したカン・ジャハンの廟で、聖者として祀られている。たくさんの参拝者に私も混じって見学する。
 
 1時間後に待たせたリキシャーで来た道を帰る。往復で30タカのところを100タカと言ってくる。とんでもない話、大声で怒鳴ってやった。英語で1550の発音はたしかに紛らわしい、だから何回も15タカを確認したのだ。リキシャー仲間がいる前で40タカを投げつけてやった。何か文句を言っているが無視してバス停に向かう。







2012年2月26日日曜日

宿の近くの安食堂

洗面器ではありません
カレーが入っています

  814日 (4)

      まずは宿探し。周りは真っ暗なので市場の明かりを目指して進み、揚げ物屋の
男にホテルを教えてもらが、暗いので看板も分からずうろうろしているとたち
何人もの男たちが寄ってくる。言葉がわからないので、必死でホテルを連呼
すると1人の男が親切にもホテルまで案内してくれる。
   1200タカ(240)部屋にはベット、天井にはファン、トイレと水シャワー付
 なのだがはっきりいって汚い。寝るだけなので我慢して2泊することにする。
  昼から水しか飲んでいない。ホテルの親父に食事できるところを聞くと、地元
 の人が食事するカレー屋に連れて行ってくれる。
  洗面器みたなボールが5個ありエビ、川魚、牛は食わないので鶏、ブロッコ
 リーなどのカレーが入っている。
  エビと野菜カレーを指さすと、ライスと一緒に運んできてくれる。食べ始めると
 の人達が私をじっと見ている。私がどんな顔をするのか、本当に食べられる
 観察しているようだ。美味しいと親指を立てると嬉しそうな顔をする。車エビ
 くらいの大きさのエビが入ったカレーはコクがありお世辞抜きで美味しい。
 本来ならビールが飲みたいのだがイスラムの国なので飲めないので、ペットボトル
  の 水で我慢する。






2012年2月25日土曜日

21時クルナに到着

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夕食 エビカレー


814日 (3)


 人相の悪いのが8名もいる。自分ひとりでバングラデシュ入国カードくらい書けるのに、目つきの鋭い奴が私からパスポートを取り上げて勝手に私の名前を書き込んで、入国に300タカ必要だという。
 入国係官に助けを求めても人相の悪い男に従えと聞く耳持たない、タカが無いので両替するしかない。この男たちにだまされると思って、インドルピー2000(日本円4000)を両替する。もっとお金があるだろうといっているが財布を仕舞い込んで無視する。
 どうにかこうにか300タカを渡してパスポートにスタンプを押してもらう。後でわかることだがこの300タカは入国のときではなく、出国のとき必要だった。初日から日本円で360円だまされた。
 時計を見ると15時40分、本日の予定のクルナまで行くバスを探すが、ここから出るバスは無い。リキシャーでバス停まで行きクルナ行きのバスに乗り換える。
 バスはボロボロで座席が壊れて板の椅子だ、背も板、こんなバスが走っている自体考えられないのだが、バングラデシュの人たちは静かに腰掛けている。
 日本人が珍しいのか、それとも外国人が珍しいのか、何人も人の目にさらされる。そのうちに若い男が英語でどこから来た、どこに行く、独身か、バングラデシュはどうだ、いろいろ質問される。それらに答えるとベンガル語で皆に聞かせる。そうするとバスに乗っている人たちが私の顔をうかがっている。
 ボロバスはクラクションを鳴らしぱっなしで前の車を追い越す。どこに追い越すパワーがあるのか不思議だ。
 窓の外は水田が広がり、川では魚を獲っている。魚の獲り方が変わっていて、畳6帖もある網に竹の棒が10メートル繋がっていて、川の途中に杭が固定され支点になっている。真中より前に網を沈めて、後ろに足を掛けて網を上げる。大小の魚、海老がきらきらと跳ねている。今晩のカレーの具になるのだろう。
 ボロバスは相変わらずけたたましくクラクションを鳴らしながら、バス、トラックなど前方を走行している車を次々と蹴散らして進む。途中賑やかな街に何回か停まり、午後9時少し前にクルナに到着する。















2012年2月24日金曜日

国境で人相の悪い奴らに囲まれる


                  *リキシャーから撮った風景



814日 (2)

2時間で国境の町バンカオン駅に到着。駅前にたむろしているリキシャー(自転車の後ろに荷台が付いている)にバングラデシュの国境までいくらかと聞くと誰もが40ルピーだと言う、協定料金のようなので40歳くらいの身体のがっちりしたリキシャーを指名して乗込む。
 国境までの道路の両脇には大きな樹木が並ぶ、すれ違うリキシャーに腰掛けているサリーを着飾った女性4人が、こちらを向き微笑んでくれる。インド系の彫りの深い綺麗な女性だ、こちらも手を振り答える。(写真がないのが残念)
道路の脇では子供たちがサッカーをしている。雑貨屋、野菜、バナナやオレンジなどの果物屋を何軒か通り過ぎる。
 30分はリキシャーに揺られ水田、畑、川で魚を獲っているのを興味深く眺める事ができてとても楽しい時間だった。 
 国境に到着すると、人相の悪い奴らに取り囲まれる。バングラデシュ入国の手続きと、両替をさせて小銭を稼ぐのが目的だろう。だまされまいと身構えても結局は小銭をだまし取られた。 続く





2012年2月23日木曜日

バングラデシュの国境をめざして

バングラデシュの国境をめざして



8月14日 (1)

成田を出発してホーチミンとバンコクにそれぞれ1泊し、インドのコルカタ空港に14日の10時半に降り立つ。
 空港で5000円を両替して一歩外に出るとタクシーの運ちゃんに囲まれるが、無視して安く上げるために路線のバス停まで歩く。
バス停にいる人に目的地まで行くバスは何番か聞いて待っていると、何台か通りすぎるバスはどれも超満員、乗込むのは無理だなと諦めてタクシーに駅名を告げて、値段交渉。15分後に500ルピーから250ルピー(500円)になったので乗り込む。
道路にはリキシャー(人力車)や車が溢れ、物凄い渋滞でバスを乗りついでいたなら2時間では着かなかっただろう。私の判断は正しくタクシーは車の間を上手に抜けて1時間10分でシアルダー駅に到着。
 本日中にバングラデシュに入国したいので、急ぎ切符売場に向かい駅名を告げるがアクセントが違うようでなかなか理解してもらえない。地図のコピーを見せてようやく分かってもらい切符を手にする。
 私が乗車するホームが分かりづらく、3人もの人に聞き列車に乗込んで腰を掛けていると、10分もすると超満員になり3人掛けの座席に5人が座る。
各駅停車なので降りる人がいても、乗車する人もいるので終点まで超満員のままだ。
停車するたびに売り子が果物やスナック菓子、水、ジュース、子供の玩具などを次々に狭い車内を泳ぐようにしながら販売にくる。これが結構売れるから不思議だ。






2012年2月22日水曜日

コルカタのシアルダー駅前


*コルカタのシアルダー駅前

今日は5回目の失業認定日、朝から池袋のハローワークに行ってきた。
次回は3月21日で受給終了となる。これで目出度く翌日にユーラシア大陸横断に出発できる。

 洗濯物にはまいった。部屋の中には天井に備え付けられたファン(大きな扇風機)が生暖かい空気をかき混ぜているだけ。
 日本の梅雨時に部屋を閉め切って洗濯物を干している状態と思っていただければ分かってもらえると思うが、生乾きのあの臭い匂いが付いた衣服になってしまったので、3日に1回はゲストハウスのクリーニングを利用するしかなかった。パンツ2枚、短パン1枚、半そでシャツ2枚、帽子、タオル・ハンケチ全部でクリーニング代100タカ(120円)とべらぼうに安い。
 食べ物は朝の早いバスに乗車するときはバナナ、ビスケットとミネラルウォータで済ませ、それ以外は毎食カレー。具に合わせてスパイスが微妙に違うので飽きる事はなかったし、海老と種類豊富な川魚のカレーは特に美味しかった。
 現地の人は手で食べているが、私はライスを手で上手に食べられないのでチャパティ(小麦粉を水で溶き焼いたパン)を注文して適当にちぎってカレーを付けて食べた。
 毎日367度、湿気で蒸し風呂に入っている状態だったのでビールは飲みたかったが、イスラム教徒の国なのでアルコールが飲めないのが辛かった。それでも慣れとは恐ろしいもので酒なし、蒸し風呂状態でもよく眠れたのが不思議だった。
  次回から詳しく報告します。   




2012年2月21日火曜日

バングラデシュの旅



*バングラデシュの子供たち


 練習のつもりで2010年8月に訪れたバングラデシュの旅を何回かに分けてお届けします。
 この文章は、私が事務局をしている「東京平内町ふるさと会」の会報に掲載した分です。青森県東津軽郡平内町で、三味線の高橋竹山が生まれた町です。


「バングラデシュの旅」 2010812日―22
  東南アジアの地図を眺めてインドとミャンマーに挟まれたバングラデシュに興味を覚え
旅行することにした。
 私はバングラデシュについて、最貧国であること、何年に一回は半端でない洪水被害で国土の三分の一が水没することくらいしか知らなかった。
 旅行出来るのかどうかという情報が入りにくい国で、日本語のガイドブックは数冊しか存在しない、それゆえ訪れる日本人は極端に少ない国なのである。
 今回はバンコクからインドのコルカタ(旧カルカッタ)に飛び陸路で旅をした。
 旅行者慣れしていない国で移動するのにも現地の人と同じローカルバスに乗車するしかなく、200キロ移動するのに7時間バスに座りっぱなしだった。旅行中は遺跡見学でも安食堂でも外国人はもちろん日本人にも一人として会わなかった。
 ゲストハウス(安宿・800円程度)はトイレに備え付けの紙はなく、汲み置きした水をお尻に掛けて手で処理する現地スタイルだった。慣れればすっきりと清潔なので旅行中は現地スタイルで通した。


2012年2月14日火曜日

クチトンネル


 間抜けな顔でトンネルの入口に潜ったとこです。
 ホーチミンから約70㎞離れた所にクチの地下トンネルがあります。
 ベトナム戦争当時、アメリカ軍のたび重なる空爆と大量な枯葉剤を
 撒かれた場所です。
 総距離250㎞にも及ぶトンネルを手で掘って、最後まで抵抗して、
 アメリカ軍は攻略することができなかった。
 実際にトンネルに入ってみると想像以上に狭く、蒸し暑く、当時の
 抵抗の様子を少しだが垣間見ることができた。

 これで何とか3月からのユーラシア大陸横断の様子を写真と、
 つたない文章でお知らせできることが分かりほっとしています。
 次回は3月上旬からユーラシア横断の計画、ルートなどを
 書きこんでいきたいと思います。
Posted by Picasa

2012年2月13日月曜日

コンチネンタルホテル

テストで写真を添付してみました。

今回6泊したコンチネンタルホテルは、1880年創建というコロニアル建築の建物で
堂々として風格が感じられた。
部屋は天井が高くクロゼットも広いのでとても落ち着いた雰囲気だった。
ホテルの周りは並木の美しいホーチミン市の目抜き通りで、ホテルや高級レスト
ランやお土産屋が延々と並んでいる。

家に帰り写真の貼付けを調べて試してみました。



2012年2月11日土曜日

ザックが無い


今回は成田出発の前にチョンボした。
私一人ならスカイライナーは特急料金が高いので乗らないし、スーツケースなど持った旅行はしたことがない。これが落とし穴で恥ずかしい話だが成田第2ターミナルで下車して改札を過ぎてから網棚にザックを置き忘れたことに気づき、すぐに駅員に事情を話したら折り返しのスカイライナーで運んでくれることになり15分後に無事戻ってきた。私としたことがスーツケースに気を取られ自分のザックを忘れてしまった。ザックの中には5万円ほどのドルと日本円が入っていたのて確かめると何も無くなっていなかった。これがユーラシアだったらザックは絶対に戻ることはないだろう。

2012年2月9日木曜日

ホーチミン7日間の旅

2月6日からホーチミンにいます。
写真を掲載する予定でしたが、上手くいきません。
今回は女房と一緒なので高級ホテルに泊まっています。
私一人でしたら10ドル程度の宿ですので超快適です。
昨日は34度のなかメコンデルタツアーに出かけてきました。
食事もガイドブックに掲載されている店で食べています。
何を食べても美味しく、二人で4~5000円ほどです。